情報の海の漂流者

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僕は「時々」ネコになりたい

このエントリーと、書き手である大野さんのセルフブックマーク。

ohnosakiko セルクマ ↑↓もしかしてオタクの人の中では【女の子より猫になりたい】人の割合が高いんだろうか(そんな気もしてきた((自意識もウザいので捨てたいという‥‥//
はてなブックマーク - なぜ誰も「かわいい女の子」ではなく「かわいい子猫」になりたいと言わないのか - Ohnoblog 2

変身願望について人に聞く場合には、一定期間が経過した後、元に戻れる設定なのかどうかを確認してみたほうがいいんじゃないかなぁ。

子猫でも女の子でも、「試しにちょっとなってみたい? 」と聞かれたらYESと答える人はそれなりにいるはずだ。
短期間の変身ならばメリットだけをカジュアルに楽しめるからだ。
それに対して、二度と元に戻れないという条件の場合は、デメリットも考えて、慎重になる人が出てくるんじゃないだろうか。

僕も時々「猫になりたい」と思う。だけどずっと猫のままなのはしんどそうだ。道路上で敷物のようになっている猫や、人間にいじめられている猫を見るときなど、特にしんどそうだ。
後、猫も動物なので縄張り争いは厳しく、耳が半分なかったり、足が片方なかったりする個体を見かけたりもする。そういうのを見ると子猫になるのはいいけど成猫になるのは嫌だなぁと思う。成人男性として生きるより、なおしんどい一生が待っていそうだ。あと知らない間に去勢・不妊手術とかされてしまいそうだし。
多分、一週間に一時間くらいネコになるのがちょうどいい。いいとこ取りしたい。

それはさておき、現実世界で変身願望を表明するのはそれなりにハードルが高い。あまり良く知らない女性相手だと特に。
マンガやアニメにおいて、変身願望というのは性的な好奇心をカジュアルに満たすこととセットが語られる事があることや、変身によって男性性を自ら放棄することを表明するとそれなりに不愉快な思いをさせられることが予測できることなどが、その理由だ。
性的な好奇心ってのは、女風呂を覗きたい男性キャラクターが「ああっ女の子になりたい」とつぶやいたり、魅力的な女性キャラクターが動物と戯れているのをみて「ああっ動物になりたい」とつぶやいたり、そういうタイプのものだ。

現実世界で下手に「女の子になりたい」「子猫になりたい」と言って「女の子を油断させてHなことするためでしょ?」と返されると大変めんどうなことになる。『けいおん』等の性的ニュアンスが薄い作品の場合、この手のトラブルから距離をおけるので、「女の子になりたい」と表明することのハードルが低くなる。
(そういう意味では冒頭で紹介した大野さんの記事もハードルが低い。あそこで子猫になりたいと表明してとしてもめんどくさいことになったり、不愉快な目にあわされるリスクは少なそうだ。)
ちなみに僕が以前交流を持っていた同人作家が一人この手のトラブルで筆を折っている。1990年代後半に今で言うところの「女の子になりたい」願望を満たすためにweb小説を書いたところ、性的願望を満たすためだろうとBBSで揶揄されて、憤慨して同人活動をやめてしまったのだ。

あとは、こちらの「男性性」をスポイルされた男性の自意識の変化的な話について

そして何より時代の変化だ。今の時代は男性から男性性をスポイルするようにできている。団塊世代のように(性差別の結果として)男性の収入が高かったり就職機会に恵まれたりもしてない。筋力や体格の大きさは知識労働者の間では利点にならない。男性が男性というだけで有利だった時代は、制度や偏見を除けばほぼ終了を見ている。女性のほうが有利に立ち回れると考えてる人も少なくないのではないか。


オタクの女の子になりたい願望は性別を超える - 狐の王国

これはオタクの変化だけではなく、世間の温度の変化もあるんじゃないかと思っている。「男性性を自ら放棄するような言動」をとる男性に対する世間の反応って今は昔よりはちょっとだけ温かいんじゃないだろうか。少なくてもそういう願望を持った人がいるということが少しずつ周知されてきていて、世間の人もちょっとだけその存在に慣れてきていている。女々しい、甲斐性なしと、侮蔑する以外の反応が返ってくる場がちゃんとあり、そこにアクセスする手段もある。そのことが意見を表明する上でのハードルを下げている気がする。
しかしまぁ、相手を選ばず前置きなしに「女の子になりたい」「子猫になりたい」と伝える気になるかというと、微妙な気がする。まだまだ不愉快な目にあわされるリスクはそれなりにある。


まとめにはいる。
最近「オタクの女の子になりたい願望」がそれなりに一般人の目に入るようになった理由には「世間がちょっとだけ優しくなっている可能性」とか「表明しても危険度が低い作品が存在すること」とか「表明しても現実の自分に実害が及びにくい場(インターネット)が存在すること」も大きいと僕は思っている。
要するに僕は個人的な経験から、昔からそういう願望を持つ人はそれなりにいたけど、安心して語れる環境がなかったため、可視化されにくかった可能性があるんじゃないか、と考えているわけだ。