情報の海の漂流者

web上をさまよいつつ気になったことをつぶやいています。

マリみてを百合の元祖というのはどうもねぇ

百合雑誌の代表格『コミック百合姫』(一迅社)の編集長・中村成太郎氏がこう解説する。

「一般的には、肉体関係を伴うレズビアンではなく、女子高生同士が一時的に抱くような、友情の一歩先にある恋愛に近い精神的なつながりが“百合”と呼ばれています。1998年から続くシリーズ小説『マリア様がみてる』(集英社)が元祖ですね。“マリみて”は、閉じられた女学園を舞台に、山百合会と呼ばれる生徒会のメンバーたちの絆を描いたものです。僕自身は、百合の本質は少女マンガ的な青春物語だと思っていて、実際に『コミック百合姫』の読者も女性が多かったんですが、ここ1、2年で男性ファンが急激に増えました。シンプルに言うと、百合男子とは、仲のいい女性同士を見て勝手に妄想を繰り広げている男のコのことです」
仲のいい女性同士を見て勝手に妄想する「百合男子」が増えている? - ライフ - 週プレNEWS

こんなのがあったんだけど、マリア様が見ているシリーズ第二巻、『黄薔薇革命』の後書きに以下のような記述がある

インターネットの某ページに『マリア様がみてる』のことが記載されていて、「ソフトだけど完全に百合」というコメントが添えてあったのには笑ってしまった。最高の褒め言葉です、ありがとう。
マリア様がみてる 黄薔薇革命 (amazon) p212

初期のマリみてに「ソフト百合」という評価が付いていたことから、百合という概念はマリア様がみてる、という作品に先行して存在していたことは明白である。
それは小説の後書きで言及されたことで、ファンの間にも周知されている。


マリみては百合の元祖というよりも、ジャンルの集大成として大ヒットを飛ばし、それ以降、マリみてに影響を受け、マリみてを基準として考える人達が大量に流入する形でこのジャンルが回っているという形だろう。
そして、そういう動きに対して昔からの愛好者が「百合が収奪された」と反発している状況を時々見かける。