情報の海の漂流者

web上をさまよいつつ気になったことをつぶやいています。

例のいじめのあれについてメモ

ツイッター等でだらだら書いていたが、どうしても考えがまとまらないので筆のおもむくままにメモを取る。

いじめ自殺の実態を学校側が調査するというのはどうなのだろうか?

  • 利害関係者であり、事件を矮小化することで利益を得る学校側が調査をするというのはまっとうな方法なのだろうか?

以前 学力テストの点数を簡単に上げる方法 でも書いたが、学校・教師の評価に関わるような問題を本人たちに調査させるというのはもみ消しの温床ではないのか?
家族を失い精神的なダメージを受けた直後の遺族がこれだけ動き回らないと話が進まないのはおかしいのではないだろうか?

被害者と加害者の隔離問題

いじめの対処法(というか事後のケア)の中に被害者と加害者を物理的に隔離するというものがある。
1〜2ヶ月位前に、とある市の偉い人が、学校統合についての議論の中で、学年に1クラスしか作れないような規模の学校では被害者と加害者を物理的に隔離できないから、一学年複数クラスを作れるサイズにまで廃統合することがいじめ対応として有用である的なことを言っていた。
それを読んで僕は非常に強い違和感を覚えた。
例えば、黒沼 克史 少年にわが子を殺された親たち (amazon) という本の中に、リンチ殺人事件の被害者の兄弟が加害者と同じ学校に通っていて強いストレスを感じている事例がある。
心へのダメージが一定を超えてしまったケースでは、隣のクラスに隔離というのは不十分で、どちらかを転校させ、被害側と加害側が日常生活において接触させないようにする必要がある。
この時、学校統廃合が行われていると、自宅と転校先の学校との距離が遠くなり、通学に必要なリソースが増大することになる。
統廃合+クラス替えによる被害者のケアというのは、被害者のダメージが小さいうちには有用かもしれないが、転校が必要なレベルになるとデメリットが大きくなる危険性がある。

また隔離問題では、進学先の問題というのもある。
例えば以前通信制高校について調べていたときに、先輩から後輩への性犯罪が行われたケースで、地域に一つしか無い普通高校に先輩が先に入学してしまったため、進学先の選択肢が著しく制限されてしまった事例があった。

  • 性犯罪により男性との接触に恐怖を覚えるようになりラッシュ時の電車通学は厳しい
  • 近所の学校に進学すると加害者と同じ生活空間で過ごす必要があり厳しい

そのため一度進学を諦め、その後通信制への道を選んだというケースだ。


こういうものを知っていたため、学校統廃合がいじめ対策として有用であるという意見には僕は違和感を覚えたのだ。
ニアミスを避けるならば別の学校に行くほうが確実であり、生活圏内に複数の選択肢(通学先)が存在する方が接触を避けるのに有効なように思える。


加害者との関わりを避ける方法の一つに登校拒否というものがある。
しかしこれは被害者側が一方的に不利益を被る対処方法であり、問題が多いと考える人も多い。
だったら、被害者側ではなく、加害者側の登校を停止するという方法はどうなのか?
これは加害者側が学校に対して訴訟を起こすというリスクがある。
(有名な具体例を書くと苦情が来るので書けない)

ネット上の加害者特定問題

センセーショナルな事件が発生した時、ネット上ではしばしば加害者を特定し実名を晒そうという動きが起こる。
しかしこの動きはあまり精度が高くない場合が多く、しょっちゅう関係のない第三者に誤爆する。
最近では

などが誤爆事例。

人が自ら死を選ぶ事件の話

少し前に、毎日新聞電子版(CDROM)で「自殺」というキーワードで見出し検索をしたことがある。

その結果


数字に自殺未遂事件が含まれること、個別の事件ではなく自殺問題そのものを扱った記事があること、重大事件は何度も報道されることを考えると、毎日新聞で報道された自殺者は全体の1%以下に過ぎない。

というような結論に達した。
この国では誰かが自ら死を選ぶなんてことは、極めて日常的で、通常ではわざわざ報道するほどのニュースバリューは無くなっているのだ。
では、今回の大津のいじめ自殺問題がが、これだけ騒がれているのは何故なのだろう?
自殺練習疑惑というセンセーショナルないじめ方が原因?
では、この人が「ありふれた」いじめにより死を選んだ場合は、話題にもならずに埋没していたのだろうか?
ただ死ぬだけでは、注目されず、極めてニュースバリューが高い死に方をしない限り、自殺をしても騒ぎにもならないのだろうか?