情報の海の漂流者

web上をさまよいつつ気になったことをつぶやいています。

あの日のそらの的あさのニュースについての感想文

ソラノートの番組はフランチェス子さんをどう扱ったのか?の話です。

中傷とか人権侵害とかそういう話は他の方がやっているので、メディアとしての話をします。


あの放送はそらの氏が無邪気に笑いながら「ネットいじめ」に加担した映像としか僕には評価できないのですが、最後の最後でそらの氏の笑みがふっと消えて真顔になったのが印象に残っています。
僕は、「あ、この人、ようやく気がついたんだ。この後どう挽回するんだろう」と思ったのです。
前日いじめについて放送した人がこのまま終わらせるというのはさすがにないだろうと……



しかしその後すぐに、ニコ生の放送枠の関係で残り時間が少ないという通知が入り、そのまま番組は終了しました

この先にあるものが本番じゃないの?

それを見てとても微妙な気持ちになりました。
「従来のメディアの悪いところ」と「新しいメディアの悪いところ」が悪魔合体してるように思えたのです。


従来のメディアは個々の問題に対して情報量を適切に配分することが難しい状態です。
紙面や放送時間の都合があるからです。
お弁当箱の大きさが決まっていて、そこに合わせて料理を詰めていく方式なのです。
そして、製作過程は見せずに完成したお弁当だけをお客に売っている。


ブログやネット放送の類は、紙面や放送時間の縛りが少なく、作り手が文章量や放送時間を柔軟にコントロールすることが可能なメディアなはずです。
お弁当箱の大きさも、何を詰めるかも自由だし、製作過程を見せながらお弁当を売ることも可能なわけです。


でもね、お弁当箱のサイズが決まっているのに、その10倍も材料を買ってきた挙句、製作過程を見せながら料理していたら出かける時間になっちゃってお弁当が完成しませんでしたって、どうなんだろう?


しかもそれが初めてではないとしたら残念だなと思います。
製作過程からしっかり撮影するなら、他のメディアの2倍から3倍の放送時間を取らなければ、お弁当完成まではたどり着きません。
これは構造問題でもあるように思えます。
この方法でやって行く限り、この先何度も同じようなことが起こっちゃうだろうなというのが僕の感想です。