情報の海の漂流者

web上をさまよいつつ気になったことをつぶやいています。

主語を大きくする話

  1. 漫画、ドラゴンボールの一巻だけを読む
    • 日本のコミックスは少年の冒険ロマンだ
  2. 映画、ゴジラの第一作を見る
    • 特撮とは反核映画だ
  3. 映画、クレムリンの冒頭だけを見る
    • アメリカ映画とは、可愛い動物と家族愛のストーリーだ。
  4. 人間失格を途中まで読む
    • 純文学とは、写真の謎を解くミステリーだ。
  5. 水戸黄門を途中まで見る
    • 時代劇とは優しいおじいちゃんが旅をするジャンルだ。
  6. アニメ版撲殺天使ドクロちゃんのOPをみる
    • アニメーションとは棘付きバットで撲殺する表現方法だ。

有名作一本(しかも続き物の第一巻)だけを例に取り、ジャンル全体を語ることは妥当であろうか?
せめて一つの作品を最後まで読んで語る必要があるのではないだろうか?
映画の途中で席を立った観客に、その作品やジャンルを語ることはできるのだろうか。
ライトノベルに携わる人々は今一度「風と共に去りぬ」を読むといい - ハックルベリーに会いに行く
を読んで思った。


というか一年前もSFで同じネタをやっていなかったっけ



だから、もし本当にSF小説を語りたいなら、読むのは一冊(多くて二冊)で良い。但し、それは重要な作品である必要がある。そして、それが重要な作品なのだということを、しっかり感じながら読む必要がある。それさえできれば、あなたは自信を持って、SF小説について語ることができるだろう。


SF小説を語るのに全てのSF小説を読む必要はあるか? - ハックルベリーに会いに行く

その時も思ったのだが、何を持ってジャンルを内包した重要な作品なのだと判断するのだろう。
今回ゼロの使い魔(しかも一巻だけ)を読んで、ライトノベルというジャンルを語るに足る重要な作品だと判断したのだろうけど、その根拠に興味がある。