情報の海の漂流者

web上をさまよいつつ気になったことをつぶやいています。

エア御用についての個人的見解

この辺の話について

エア御用について

過去の社会問題において、専門家の発言や態度が政府の不作為を助長したり、批判の火消しをしたことがある。
専門家の言動が原因で問題解決を遅れ、被害を拡大してしまう、という現象が何度も見られた。
その度に「問題解決に負の効果を与えてしまった専門家」をどう批判していくかという議論が積み重なっていった。
エア御用という概念は本来その延長上にあったと考えられる。

専門家の影響力と批判の許容範囲

この手の専門家批判には、専門家の社会に与える影響の強さ故に、一般人に対する批判よりも一段階踏み込んだツッコミが許容される空気がある。
名誉毀損において、同じ事を言っても、一般人に対しての発言ならアウトだが、公人に対する発言ならばグレーやセーフになるケースがあることに似ている。
大雑把な理解としては


1.どんな人に言ってもアウトになる批判
2.専門家相手ならば文脈次第でセーフだが、一般人相手だとアウトな批判
3.どんな人に言ってもセーフになる批判

という三段階があると考えればわかりやすい。
相手によって言っていい事の範囲は変わるのだ。

原発事故とエア御用

原発事故以降、この「問題解決に負の効果を与えてしまった専門家批判」のための知見が、主に放射線リスクを「過小評価」する人を批判するためのツールとして使われている。
そうした中で、批判の対象が拡大され専門家以外の人をエア御用認定するケースが多発してきた。
そして一般人と専門家を区別せず、同レベルの批判を行われ、「専門家相手ならば文脈次第でセーフだが、一般人相手だとアウトな批判」や「誰が相手でもアウトな批判」が一般人に向けられた。

これに対する僕の見解は


社会に大きな影響を与える専門家と、webの片隅で少々発言しているだけの一般人では、社会的責任も影響力も全く異なる。一般人に対して専門家と同レベルの批判をするのはやり過ぎである。また、どんな人が相手でもやってはいけないことをやってはいけない。例えば殺人予告や、家族に危害を加えることを示唆する行為等は誰にするのも駄目である。

というものだ
「問題解決に負の効果を与えてしまう専門家批判」というモデルは

1.どんな人に言ってもアウトになる批判を行うこと
2.専門家相手ならば文脈次第でセーフだが、一般人相手だとアウトな批判を一般人に行うこと

を正当化しない、と考えている。
エア御用は一部クラスタで、あたかも「相手を問答無用でサンドバックにしても許される万能ツール」であるかのように使われているが、そういう用法は全く賛同できない。