情報の海の漂流者

web上をさまよいつつ気になったことをつぶやいています。

最近分からない事

教育と公的支援

私立高校生に対する公的支援について、高校生なら自己責任だと考える人がいる。
ちょっとマッチョだなぁとは思うが、そういう考え方があることは理解出来る。


私立高校への支援に否定的な人の主な根拠

  1. 高校は義務教育ではないから自己責任
  2. 公立高校に入る能力が無いなら自己責任
  3. 高校生ならもう、自分の選択に責任を持つべき

分からないのは、高校生に対する支援は反対だが、育児環境の整備や、私立保育園に対する公的支援には賛成する人がいることだ。

高校と同じく、幼稚園・保育園も義務教育ではない。そして子供を産もうとする方は基本的に高校生よりも年齢が高く、責任能力もある。
それでも、高校生は自己責任で、子供を産もうとする母親には公的支援が必要だと考えるのは、何故なんだろう。


もしかしてこれは母親ではなく、子供を支援しているという考え方なんだろうか。
幼児は責任能力が無いから公的支援すべきで、高校生は責任能力があるから自己責任なのだろうか。
ならば責任能力は何歳から発生すると考えているのだろうか。


その辺がどうも分からない。
個人的には両方支援すべきだと思っているんだが......

セクシャルハラスメントについて

数ヶ月前、はてなブックマークでのセクハラコメントについて、議論があった。
その後、新人研修で異性の前で性的嗜好を公表する事を強要されることはセクハラではないのかという議論もあった。
一貫して、セクシャル・ハラスメントを強く弾劾する意見が多数派だった。
セクハラは許せない行為だ、とする意見はある程度支持されているようだ*1


ではこれは性的嫌がらせではないのか?

  1. 見ず知らずの人に、あなたは普段、どのようなものを見てオナニーをしましたか?と尋ねる
  2. あなたは実は○○でオナニーをしてるんでしょう?と尋ねる
  3. 性的嗜好を公開しろと要求する
  4. レイプ願望があるんだろうと指摘する。


僕はこれもセクハラ*2の一種だと思っている。
他にもその点を指摘している人もいる。
だが、この手の性嗜好に関する発言を非難する声は少なく、逆に賛同する人が多い。
なぜなんだろう?




ちなみにこれ、性暴力ゲーム規制に関する議論で、規制に反対する人に向けられたブックマークコメントやエントリーなんかでよく見られる言葉。
相手が男性である、性的ゲームを愛好している*3と判断しうる時、セクハラ発言が許容される空気があるのは何故なんだろう?


本当は性暴力ゲームでオナニーをしているのでしょ?
性暴力ゲームを愛好している人はどうお思っているのでしょうか?*4
一規制に反対している奴は本当はレイプしたいんだろ?*5

女性に対するセクハラについては怒りの声を上げた人の中に、こんな事を言っている人や、それに賛同している人がいるが、これは何故なんだろう。
本来セクハラとは性別に関係ない概念で、被害者が男性だろうが女性だろうが成立しうるものなのに、何故か明確な性の非対称がある。
この辺、どう区別つけているんだろうか。

*1:僕も基本的には支持する

*2:セクハラという言葉が強いならば、性的にデリカシーが欠如した質問

*3:可能性があるだけ、基本的に自分の性的嗜好に関しては公開していない人の方が多い

*4:答えたら自分の性的嗜好がワールドワイドで大公開

*5:女性に対してお前レイプ願望あるんだろうと言ったら大変な事だが、何故な男性に対してその手の発言をしても許される空気がある