情報の海の漂流者

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ブラック企業に倫理観は期待できないから

スラップ(英: SLAPP, Strategic Lawsuit Against Public Participation、威圧的、恫喝的訴訟、直訳では「対公共関係戦略的法務」)は、訴訟の形態の一つで、公の場での発言や政府・自治体などの対応を求めて行動を起こした権力を持たない比較弱者に対して、企業や政府などの優越者が恫喝・発言封じなどの威圧的、恫喝的あるいは報復的な目的で起こす訴訟である。
概説
経済的に力のある団体が原告となり、対抗勢力を被告として恫喝的に行うことが多い。被告となった反対勢力は法廷準備費用・時間的拘束等の負担を強いられるため、仮に原告が敗訴しても、主目的となるいやがらせは達成されることになる。そのため、原告よりも経済的に力の劣る個人が標的にされやすい。表現の自由を揺るがす行為として欧米を中心に問題化しており、スラップを禁じる法律を制定した自治体もある。日本でも近年企業と個人ジャーナリストの間でこの形態の訴訟が見られ、この概念を浸透させる動きが見られているが、日本の用語としては定着していない
スラップ - Wikipedia

1.普通の人はスラップをくらった時点で、勝敗に関係なく人生において「大赤字」を被ってしまう。大抵の人は「そんな目にあいたくないなぁ」と考える。
2.人を大量に使い潰したり死に追いやることを日常化している類の企業の場合、倫理観によるブレーキは期待できない。
道徳的なブレーキが機能しない以上、ブラック企業はそれが有効なら嫌がらせ目的で訴訟をしてくるし、それがブラック判定基準の一つとなる。
なんにせよスラップが「高くつく」環境を作らないとまともな批判は難しい。人生をかけないと批判できないというのはハードルが高すぎる。